結局のところ何でもかなりOKで大丈夫だった。
即興的に描いた絵からのオラクル(託宣)の驚くような的中率に加え、 描いたカードの額装を希望される方もかなり多くて、 通常の個展ならいろんな理由でチョイスしないであろう作品も 額装させていただくこととなった。 いいままでの経験から、 自分の絵はちゃんと選んで額装すると数倍もパワーアップする感じはつかめていたのだけど、 いつもなら「画風がそろわない」とか「なるべく額装の雰囲気も揃えたいから」などと、 展示しなかったようなタイプの絵にも「どう合わせたら絵が生きてくるだろう」と集中して仕上げていったら、未完成のようにも思っていたタッチや、妙に可愛くてなんかいつもと違うと思っていた絵が、 逆にすごく新鮮で魅力的だったり、出来上がった絵に集中して額やマットの色をチョイスするうち、 今までは決して選ばない色合いのマットや、マット自体に造花や芝生のようなもの、木目のものなど 思う存分絵に合わせていくと、 「結局どれも全くOK」で それどころか、普段のチョイス以外のものの中に新たな方向を指してくれてるような絵がいくつもあった。 託宣も絵も、「こんなんでいいのかなぁ、でも現状これしかないわ!」と相手と時間の中から決断したもの全てに自分のOKが結果的に出た。 そして額装完了直後に原画展が決まっての一週間のちに原画展開催。 そのプロセスのあいだ、喜んだり泣いたりしてたであろう方々の気配を感じることも多くて、そんな各々の状況の中で多くの女性たちが私の今回のワークに気持ちを寄せてくれていたことでずっとチャージされてたと思います。 今回、あまり男性の気配がなくて逆にトホホな事例なんかもあって途中からはもう「今回ぶっちぎりでいこう」的にぶっちぎった感もあったのだけど、それくらい女の人の凄さを感じたのでした。 展覧会の終了近くに 予想外の絵ととりわけ濃密なコンタクトをされていた方がおられました。 そのように深く絵と交信されるときは、たいていしゃべることなく 絵とその方との間に行き来する粒子がみえるかのようにコンタクトされる。 淡い色ばかりを神が破れそうになるくらい何層にも重ねたその絵は 今回の企画で描いたものではなく、 以前に「私自身」に焦点をあてて描いた見えないわたしを描いたものでした。 すごく苦労してその絵描いていた期間に偶然みつけた自動のオラクルサイトで引いたカードで 「アティシャのハート瞑想」に出会いました。 ――― 息を吸うとき、自分は世界のあらゆる人びとの惨めさをすべて吸い込んでいると考えることだ。 あらゆるところに存在するあらゆる暗闇、あらゆる否定的なもの、あらゆる地獄、それをあなたは吸い込んでいる。 そしてそれを、あなたのハートに吸収させる。 息を吸い込むとき、世界の――過去、現在、そして未来の、すべての存在のあらゆる惨めさと苦しみを吸い込む。 そして息を吐き出すときは、あなたがもっている喜びのすべて、あなたがもっている至福のすべて、あなたがもっている祝福のすべてを吐き出す。息を吐き出す ――― 私の、そして女たちのハートのそれは男たちに届くでしょうか?