青い水底の太陽について
一年ほど前、その存在は突然にやってきた。
自分の存在している空間や身体に強いうねりを持って下から流入してくるような感覚。
それは死のように抗えなくて甘美でもある。
発光するような鋭いコバルトブルーの色と”海の底の太陽"であるという確信と自分の体感から描きはじめた青い太陽。
一年かけて、その存在に関係があると思われる場所をいくつも訪ねた。
同じくその存在を明確に捉えるガイドの存在があった。
その存在に触れておかしくなってしまったり戻ることのなかった人もいたそうで、
なるべく安全にそれに触れていくためにそのような手順が必要だったのだと思う。
海王星、海神、ポセイドン、浮上
もうひとつの太陽。それは月ともよばれる。
2013年に先に完成していた熱を持った生の太陽とは対になる存在。
自我を作る力とそれを超えていく力。
じつは、2つの太陽にはそれを思わせる2人の人物がいて、
青い太陽はそのうちの一人の人物の存在感との繋がりを感じながら描いた。
身体を持ったその人と世界を含めた、その人の身体の外の存在といつも一緒にいるような赤と青の二人。
その二人が日食や月食のように会合したら、面白いのでは、楽しいのでは、嬉しいのでは、
そのようなきっかけに、2枚の絵がなったらいいなと思った。
死の太陽の存在をはじめて感知してからちょうど1年経ったころ、
軌道が変わってしまったような出来事があり、
そこからは、今まで水底に溜まっていた澱が浮き上がってくるように隠れていたものが出てきた。
目の前の出来事にも、そしていつからあったものかわからないような自分の住む三輪という場所や歴史にもたぶん関係するようなこと。
アーティストであることや絵のイメージや、関わってくれる人との関係もあり前に出ることも多くて、ものすごく自分本位で人を人とも思わないような強烈な人物像が私にはあるみたい。
でも、実際に私に会うと思われるような強烈なアーティストって感じではないことに拍子抜けされることが多い。
青い太陽が完成する頃に、
幾人かの中に、自分本位で人を人とも思わないような邪悪な私が誕生したようだ。
二つの太陽の会合を夢みて描いた絵の太陽は会合。
2枚が揃った状態を観て感じてほしいと思う。
青い太陽の力として、強烈な闇も浮上してくる。
事実であれ、妄想であれ、全てが現れてくる。
闇も光も抱えた胸の内側がひっくりかえって自分の世界になる。
そのような理由で、ある意味覚悟して絵に触れてほしくてネットや印刷などでの公開を控え、絵とは直接対面してもらう方法をとった。
それは漠然とでも予想できたこと。
描く絵、動く出来事、人との関わり、それらは私を通してものすごく大きな何かが動いてるのを自覚するには十分すぎるほど。
たぶん、無意識下にしろ私が望むからそれが発動してるのだ。
私はいままで隠れていたのだ。
そんなことはやってない、って。かってに邪悪にしないでって。
自分が人として駄目とされることをしてしまうのが怖くて隠れてた。
自分は人として駄目な筈だから。。
それはもう超えていこう。
隠れても隠そうとしても、それはすでに表出しているのだから。
肉体を超えた私を感じている人もたぶんすでに多数だ。
胸から表出した世界では、言葉や視覚以外からもいろんなことがわかってしまうのだろう。
たくさんのなつかしい人に出会っていこう。
深く刺さるような鮮やかな青はシリウスの青だ。